私の両親は、第二次戦後大戦後のベビーブームで子供が沢山生まれた世代、いわゆる団塊世代です。
日本においては戦後の高度経済成長期の原動力となった世代で、「国民総中流家庭」とも形容された世代です。
その団塊世代の子供世代は「団塊次世代」と呼ばれ、団塊世代に比べて金銭的、物質的な生活水準で劣っていたことで、世代間で色々と理解できなかったことも多かったうはずです。
そんな団塊世代を色々な側面から見てみたいと思います。
整心ポイント(個人の選択よりも時代に翻弄された世代)
物質主義、消費大国日本の中で形成された価値観
高度経済成長期の昭和から1980年代後半のバブル崩壊までの時期は、いっぱい物を作り、消費するのが当たり前で、エコな現代に比べると需要と供給を大きく回す時代であったとも言えます。
その消費主義の中で、お金を中心とした沢山の物質に溢れかえる社会において、本来人間に必要な「心の繋がり」よりも「物質での繋がり」が強くなった時代だったかもしれません。
自分の意向に関わらず、就職、結婚、家庭を持たされた世代だった。
昭和の高度経済成長期に経済的に裕福な暮らしをしてきた団塊世代の両親のことを、平成大不況でどんなに頑張っても経済的豊かさが持てなかった自分達が羨ましさを感じる部分も多々あります。
しかし、裏を返せば団塊世代の夫婦は、男性は会社員になり、女性は専業主婦でパートと子育てをするという家庭が大半で、自分の働き方に選択肢が少なく、それはそれで窮屈な人生であったのかもしれません。
思い通りの人生を生きれなかったからこそ、団塊次世代に厳しい。
現在の令和の時代は、職業や、既婚・未婚の選択も、団塊世代が過ごした20代、30代よりは十分にあると思います。
団塊世代は20代で就職して社会風潮的に当然のようにお見合いか恋愛をして結婚するというのが日本の常識のような時代で、結婚しないという選択肢が無かったように思われます。
その分、団塊次世代の人生の選択の自由を羨ましく思っている部分があるのではないかとも思われますし、関わり方も厳しくなってしまうのではないかと思います。
ゆるしポイント(物質的、時間的な尺度から世代ギャップを把握する)
団塊世代は、物質的な恩恵には預かれたと世代ですが、時代の流れの中で、自分らしさを考える余裕もなく、20代から70代までの約半世紀を駆け抜けた世代であり、良い部分もあり、又、可愛そうであった部分も理解することが重要であると考えます。
それに比べて団塊次世代は、経済的困窮から、結婚、家庭、持ち家、車など形あるものは比較的手にできなかった世代ではあります。
でも、その分団塊世代よりも人生の選択が出来てきたことに感謝して、それぞれの世代はそれぞれの良さと苦労があることを心に刻んで、団塊世代に接していくことが大切なことだと思います。
ゆるすことは、発想の転換によって心を整えていくことです。
あなたは今日、何をゆるしましたか?