私の両親は、私と妹の2人兄弟を想定して家族設計をしていたようです。
ところが、妹がまさかの双子で生まれたことで予定外に“3人兄弟”となり、経済的にも心理的にも家庭に影響が及んでいきました。
振り返ってみると、その「3人兄弟」という構図が、後々に私を苦しめてきた要因でもあり、人生を振り返りながら、どのような影響を与えてきたのか、心の整理をしてみることにしました。
整心ポイント(忙しさが生んだ協力の力)
取り合いの食卓が育てた、したたかさとユーモア
3人兄弟の我が家では、食卓はいつも“軽い戦場”でした。
好物の唐揚げやプリンが誰の皿に何個あるか、じっと見ている。最後のひとつを誰が取るか、さりげない駆け引きが日常でした。
正直、子どもながらに「こんなに遠慮しなきゃいけないのか」と思っていたこともあります。
けれど今振り返ると、そうした小さな競争が、空気を読む力やタイミングを計る勘、そして「笑い」でやり過ごす柔らかさを育ててくれたように思います。
一人っ子なら持てなかった“人間臭さ”を、あの食卓で自然と身につけたのかもしれません。
忙しい親の背中と、育ちあう兄弟の絆
両親は、3人を育てるために共働きを続けていました。
朝早くから夜遅くまで慌ただしい日々の中で、私たち兄弟は、自然と「自分たちでやる」習慣が身についていきました。
上の子が下の子の面倒を見るのは当然で、甘えたかった4歳5歳の頃、荷物で手がいっぱいの母親は双子の片方と手を繋ぎ、私は母親に手を繋いでもらうことも出来ず、もう片方の妹の手を引っ張って街を歩く日々で、幼いながらに必死に我慢を続けました。
ときには兄弟ケンカもしましたが、それでも誰かが困っていたら助けるという暗黙のルールがありました。
「兄弟」という存在がいたことでしか学べなかったことが沢山あったと思いますし、支え合う関係を育ててくれたのだと思います。
家族の中に“孤独を分かち合える人”がいるという強み
私は結婚もせず、今は他界した父親の代わりに病弱な母親と二人暮らをしています。
年齢的にも、この先、親を看取ったあとに一人になることを思うと、不安がよぎる瞬間もあります。
けれど「3人兄弟である」という事実が、心のどこかで救いになっているのも確かなことです。
たとえ距離が離れていても、血のつながった“わかってくれる誰か”がいるという安心感や、LINE一通で思い出話を交わせる誰かがいることは、思っている以上にありがたいことなのかもしれません。
兄弟がいることで淋しい思いもしてきましたが、人生において“もしもの時に戻れる場所”でもあるのだと、今なら実感できます。
ゆるしポイント(兄弟の存在が心をほどく)
3人兄弟であることに、私はずっと「損な役回り」「我慢ばかり」といった思いを抱えてきました。
けれど、あの騒がしい日々の中で身につけた柔軟さや、支え合って育った記憶、そして今なお心を繋いでくれる兄弟の存在は、私の人生に確かな“余韻”として残っています。
「ゆるす」とは過去をなかったことにする為に自分に嘘をついて感情を溜め込むことではなく、あの頃に込められていた意味を“少し違う角度から見る”ことです。
3人兄弟だったからこそ得られた強みやつながりに目を向けたとき、決してお金には変えられないかけがえのない財産を手にしてることを実感し、私はようやく「3人兄弟で良かったのかもしれない」と思えるようになりました。
ゆるすことは、発想の転換によって心を整えていくことです。
あなたは今日、何をゆるしましたか?